日時:2023年5月30日
【大庭さよ先生のご経歴】
田中:大庭先生は法学部のご出身だそうですね?
大庭:よく珍しいと言われるのですが、私はもともと法学部法律学科出身なのです。卒後は一度、銀行に就職したのですが、当時、銀行の合併が相次いでいて、今でいう過重労働は当たり前でした。私のメンターが目の前で倒れて救急車で搬送されたり、職場の同僚が突然出社しなくなったり、そういうことが日常茶飯事に起きていました。当時は産業保健の概念もありませんでしたが、働く人の健康管理に疑念を頂くようになったのが心理学に興味を持つようになったきっかけです。当時の銀行の診療所には産業医の先生がいらしていたので、どうすれば働く人の健康管理体制が構築できるのか聞きに行ったところ、「今は、そのような体制はないが、心理学に興味があるのだったら、あなたがちゃんと勉強したらいいじゃないか」と言われたんです。今にして思えば、その先生もどこまで本気でおっしゃったのか分からないのですが、私も若かったので「あ、そっか」と思い、働きながら通信教育で心理学を学び、大学院に進むタイミングで銀行を退職したのです。
大学院の修士課程では行動分析をやっていて、研究テーマは働く人のメンタルヘルスに興味があったので、新入社員の適応課程の調査をやっていました。修士2年の時に、認知行動療法をきちんと学びたいと思って、慶應に籍を置いたまま早稲田の人間科学に通わせて頂いたんです。坂野先生のゼミに毎週出席させて頂いて、そこで知り合った方から働く人のメンタルヘルスの勉強会を紹介されて、それがいわゆるEAPの勉強会だったんですよね。島悟先生が主宰されていたのです。当時は島先生がそんなに偉い先生だとは知りませんでした(笑)。
その後、博士課程に進学して産業組織心理学を学んでいたのですが、たまたま参加したシンポジウムで島先生に再会してご挨拶した所、「今度、働く人のためのクリニックを立ち上げるんだけど、一緒にやる?」って誘われたんです。それが現在の神田東クリニックMPSセンターでした。そこから島先生とご一緒するようになりました。クリニックで受付や掃除などのお手伝いをする傍らで、様々なことを教えて頂きました。今でも、島先生が「アメリカと日本では法律も違うので、アメリカのEAPを模倣するのではなく、日本の産業保健に則ったEAPを作らなければならない」と仰っていたことを覚えています。もう30年近い昔の話になりますが。
田中:現在の先生のご活動について教えていただけますか?
大庭:神田東クリニックを2年前に卒業してからも週に2回はクリニックで臨床をしています。それ以外に色々な企業様の健康管理室などで社内のカウンセリングを行っています。最近ではこの2~3年はオンラインでやることも多いですね。また、社内での教育研修も行っています。最近は上司や人事担当者からのコンサルテーションを受けることも多くなりました。私がお手伝いをしている所は、メンタルヘルス体制としてはまだ整備する余地のある企業様が多いように思います。整理されていない課題が多く、弁護士や社労士の先生と連携してルールを作ったりすることも増えてきましたね。このような活動を通じて、産業保健法学会の存在意義を強く感じています。
田中:先生が産業保健法学会と関わったきっかけはなんだったんでしょう?
大庭:法学会の第1回学術大会の時に小島先生や淀川先生と事例検討会をご一緒させて頂いたこと、種市先生達と一緒に、弁護士と心理職の共同シンポジウムをさせて頂いたことがきっかけだったと思います。
それまでは、弁護士と連携作業を行う機会はあまりなく、リーガルなリスクがある場合に会社の方に顧問弁護士への相談を勧めるくらいだったんですよね。一つのケースに関して、弁護士の先生や会社の方々と一緒に考えるようになったのは、それこそ法学会で弁護士や社会労務士の先生とのつながりができ、そういった方々とのコミュニケーションの壁を低く感じるようになったからかもしれません。
【職場における心理職の役割】
田中:現在、多くの企業は産業医と産業看護職を中心に産業保健体制が構築されていると思いますが、これからは多職種連携がより大事になってきます。
タスクシェアリングが進む中で、労働者から見ると産業医も産業看護職も似たような立ち位置になってきている。それに対し、心理職は労働者にしっかり寄り添う本来の医療者らしい側面を最も強く残しているように思います。そうした立場の心理職が、関連法規や就業規則などのルールを理解した上で対応して頂くと、労働者を支えるだけでなく、会社と労働者をつなぐ架け橋としてとても大切な役割を果たすことになりますね。
大庭:心理職は一番母親的な役割をすることが多いし、客観的事実よりもご本人の主観的事実を大事にします。でも、その主観的事実だけだとその人が孤立してしまう危険があるので、その組織との間をつなぐ役割がすごく必要で、その時のツールの一つがルールだと思っています。先日、ある組織で職場復帰ガイドラインを弁護士や社会保険労務士の先生方と一緒に作って、それを管理職やトップの方々にお話しする機会がありました。その時に私が最初に説明したのが「これはご本人が安心して休んで職場復帰できるようにするための本人を守るためのものでもあるし、本人に対応する職場の上司などの方々を守るためのものでもあるし、それからその本人を抱える組織を守るためのものでもある」ということでした。病気になった時に安心して休めたり、ケアできたり、対応できたりするためには、このようなルールが大事だと思います。ルールは本人や周囲の人、そして組織を守るものだと私は考えています。
【就業規則をきちんと読む】
田中:先生がお仕事をされる上で、大事にされていることはありますか?
大庭:私は2本の柱を常に意識しています。1つの柱は、働く人のメンタルヘルス。当時から島先生は心理社会的な支援の重要性を強調していらっしゃいました。もう1本の柱は、キャリア発達。こちらは渡辺三枝子先生から多くを教えて頂きました。臨床や産業精神保健の現場では、その2本柱を常に意識しています。
そして問題解決のためには、個人へのアプローチと組織へのアプローチが両輪だと思っています。産業精神保健の現場では、精神医学的な診たてだけではなく、心理社会的なモデルのアセスメントが非常に大事だと思います。同時にケースワークがとても大事で、色々な職種の方々、例えば産業医や弁護士の先生方、人事労務・総務の方々、色々な職種の方々とどのように対話できるかが重要だと思います。その対話において共有できるベースになるのが、法律や就業規則のようなルールだと思っています。
田中:多職種間の対話を支えるのが共通のルールということですね。
大庭:法律そのものが専門じゃなくてもいいと思うんですが、その人やその人の働く職場を理解する上で、法的な視点を持つことは重要だと思います。多様な人々が共に働く職場だからこそ、特に「普通は・・」とか「常識的に考えて・・」ということの共通認識がなくなりつつある昨今だからこそ、職場が共通して持つルールを理解することが必要なのではないでしょうか。
特に心理職は個人の主観的世界に重きを置きますので、個人が置かれている客観的世界を理解する上でも、職場が共有するルールを理解する必要あると思います。
また、法律の専門家である弁護士や社会保険労務士の先生方とネットワークができ、こういう場合どうしたらいいのかとか、ざっくばらんに教えていただける人ができた、というのはこの学会に関わっているメリットとして大きいと思います。生活している中で何かがないと弁護士の方々とざっくばらんに話すという機会はなかなかないですから。
その時に法律そのものがわからなくても、そこをちゃんと聞けることは必要だと思います。そのためには自分の疑問が何なのか、分かっていること、分かっていないことを整理できることが大事だと思うのです。心理職でもそれぐらいはできるべきだと思います。やっぱり就業規則はちゃんと読めないと困りますもんね。
田中:就業規則をちゃんと読めるかどうかは別にして、ほとんど目も通さないまま活動している人は少なくないかもしれません。そのために、学会でこんな研修をして欲しいというご希望はありますか?
大庭:就業規則や労働者を守る法律が基本的にどうなっているのかとか、そういうベーシックな研修をやって頂けると有難いです。企業側の方々とお話をするときに、どのような点を就業規則で確認すべきか、ということが分かるくらいにはなる必要があると思います。
また、同じ事例に対して専門性の異なる先生方との意見交換の機会があると、新しい視点を持つことが出来ると思います。そのような事例検討が出来ると良いなと思います。
今の時代、就活をする大学生には、ブラック企業から自分を守るために、労働法や就業規則についてきちんと教育が行う大学もあるようです。だから、もしかしたら、支援する心理職よりも彼らの方が詳しいかもしれません。だから心理職も個人の心のケアをしようとか、個人を守ろうと思ったら、個人や集団を守っているルールについて知る、少なくとも興味を持つことは必要なことだと思います。
【産業保健現場における心理職の心得】
田中:職場では、心理職と産業医との間でどのような情報交換をすべきか問題になることも少なくありません。守秘義務の問題がありますので簡単ではないと思いますが、先生はどのようにお考えですか?
大庭:利益相反が起きないことが一番ですが、どうしても起きてしまうことはあります。そのような時に、私自身は自分のファーストクライアントは目の前の相談者だと決めています。決めておかないと軸がぶれてしまうからです。ただ、報酬は企業から頂いているので、戸惑う方もいるでしょう。しかし、それで守秘すべき情報を提供してしまうのは、魂を売るも同然なので、そこは譲るべきではないし、それで契約が切られるのなら仕方ありません。一方、心理職の中でも守秘義務を誤解している人も多いと思います。業務上知り得た個人情報を本人の同意なく他者に伝えてはいけない、というが守秘義務ですよね。つまり、本人の同意を得て情報共有をすればよいわけですよね。その同意を得る努力を怠らないことが大切だと思うのです。同意を得るためには、その人がどうなるのが良いのか、心理職にある程度の見立てができていないといけません。情報を共有することの意図と意味をキチンと説明して、どういう目的で誰に何をどのように伝えるのか、きちんと説明すれば、ほとんどの場合、同意は頂けます。そういった努力をせずに、ただ「私は守秘義務があるから伝えられません」っていうのは心理職側の怠慢だと思います。
私は産業医の先生とは連携することがほとんどです。産業医の先生との連携が前提にある場合には、カウンセリングの最初に産業医の先生と共有することを伝え、もちろん共有して欲しくないことがあれば言ってもらう、というようにしています。
田中:共有する意味をきちんと説明するためにも、心理職にこの後のストーリーが見えてないとダメだってことですかね?
大庭:まさにそうだと思います。ストーリーが見えていないと、それをどう展開したら良いのか分かりませんからね。その人のストーリーを見るためには、その人との信頼関係も大事です。信頼関係があってこそ、情報共有の同意が得られるわけですよね。だから、コソッと共有したりすることはありません。
田中:なるほど、有難うございます。あと、例えば客観的に見て労働者側に大きな問題がある場合で職場のメンバーを攻撃したりして職場に迷惑をかけているケースなどでは、どのようなことを心がけて接するようにされていますか?
大庭:私自身が心掛けていることとして、そういう時には、まず自分の中の陰性感情を認識することです。陰性感情を持たないようにするわけではなく、陰性感情があるなっていうことにまず自分で気づくことが重要です。自分の中にある陰性感情を自覚することにより、共感や傾聴が可能になります。また、心理職は共感や傾聴などのスキルを用いてクライアントに人に寄り添うスタンスがベースなのですが、もう一つ、アセスメントをするための客観的な視点を持つことも大切です。よく「共感的理解」と「診断的理解」という言葉が用いられます。これらは相反するものじゃないんですよね。
例えば、自己反省がなく他責的に過ぎる人がいたとします。どうしても共感できない場合もありますよね。そういう時に診断的理解が助けてくれるのです。この人の情報処理だとこう映って、こう考えてしまうからこうなのかもしれないな、とか。今までの傷つき体験から自分を守るためにこうしてしまうのかもしれないな、とか。そういうアセスメントの目を持つんですよね。「何故この人がこのように思わざるを得ないか」が見えてくると理解できる側面があるのです。主観的事実と客観的事実のギャップが大きい時こそ問題なのですが、そこを埋めるのが、この2つの理解なのです。
田中:慣れてないスタッフや人事担当者だと陰性感情に支配されかねませんが、専門家は共感的理解だけでなく様々な病態やストーリーに基づく診断的理解の両方の視点を持っているので、慌てずに対応できるわけですね。
大庭:そうですね、この診断的理解の仮説を立てるための手法はいくつかあるので、そういう意味ではそうかもしれないですね。昨今だと、職場における発達障害の社員対応で、その人の情報処理がどうなっているかという理解が必要な場面も増えています。情報処理の特徴を理解できると、対応できることも出てきます。
トラブル対応に法律は大きな力を持っていると思いますが、客観的な心理的理解も同じくらい大事だと思います。
【心理職と他職種のコラボレーション】
田中:心理学と法学、そして産業保健職、この三者がうまくコラボレーションできれば、トラブル対処には大きな力になりそうですね。
大庭:でも、心理職の立場で少し残念に思うのは、産業医や弁護士の先生方はお金を出して雇おうとする企業が多いのですが、心理職にお金を出して雇おうとする企業はまだまだ少ないと思います。法的には雇用することが義務付けられておらず、リスクマネジメントに直接役に立つと実感しにくい心理職を雇用しようとする企業は、社員のメンタルヘルスに対して意識が高い企業だと思いますし、私が関わることができているのはそういう企業だと思うのですが、ごく一部なのではないかと思っています。
田中:企業側のニーズは決して小さくないと思います。今後、大庭先生のような方をもっと増やすためにどのようなことが必要でしょうか?
大庭:心理職の卒後教育としては、島先生が創設された京都文教大学 産業メンタルヘルス研究所があります。また産業ストレス学会や産業保健精神学会にも教育研修の実績は数多くあります。それらの組織が有機的に融合するとともに、弁護士や社労士などの法学系の多職種との連携が推進されると、とても大きなシナジー効果が生まれると思います。産業保健法学会には、そのようなハブ機能を是非期待したいと思っています。
田中:本学会が果たすべき役割も大きそうですね。
大庭:確かに法学分野のスキルの習得は心理職が生き残る一つの方法だし、もしかしたら心理系と法学系は親和性があるかもしれないですね。私が関わっている弁護士の先生方は、心理的な部分に興味持つ方が増えているように思います。心理学的に深い考察をされる方もいます。一方、心理職には法にアレルギーがあるが多い。そこで、まず最も身近な就業規則を取り上げて、法学の先生方との対話ができる場を作ることができれば良いと考えたのです。本学会が、多職種のシナジーを生み出すことのできる場になることを願っています。
田中:本日は、心理職の立場から幅広いご見解と本学会に対する貴重なご提言を頂き、本当にありがとうございました。今後、先生のますますのご活躍を祈念しています。
大庭さよ様 メンタルサポート&コンサル東京 合同会社 代表社員(臨床心理士、公認心理師、キャリアコンサルタント)
-職歴-
1990年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業 さくら銀行(現三井住友銀行)入行
1999年 慶応義塾大学大学院心理学研究科修士課程心理学専攻 修了(学位(心理学)取得)同博士課程進学
1999年 医療法人社団 弘冨会 神田東クリニック/MPSセンター
2011年 医療法人社団 弘冨会 神田東クリニック/MPSセンター MPSセンター長
2021年 メンタルサポート&コンサル東京 代表
2023年 メンタルサポート&コンサル東京 合同会社 代表社員
―賞罰―
1999年 産業・組織心理学会若手研究支援賞
2016年 産業精神保健学会 島悟賞