(一社)産業医アドバンスト研修会理事長、産業医科大学産業衛生教授 浜口伝博様にインタビューを行いました
学会広報委員会(以下、-広報委員会-)
今回は、長年産業医として第一線で活躍を続けておられる浜口伝博先生にお話を伺います。
産業保健活動は法に立脚した活動ですので、法の理解と知識は重要だと思います。産業保健現場において、産業保健職(産業医、産業看護職等)に法知識が必要とされるのはどのような場面でしょうか?
JOHTA理事長 浜口様(以下、―浜口―)
産業保健活動の場合、あらゆる場面で法知識が必要となります。ここでいう法知識とはおもに労働関係法令を指しますが、そもそも法知識がない人に安心して産業保健活動をまかせられません。なぜかというと、産業保健職は事業者から労働安全衛生に関する活動を付託されているわけですから、その活動のすべては事業活動の一環であるわけです。事業活動である限り、少なくともそこに法的不備があってはいけません。法基準を満たさないような会社運営は、それはもう社会の公器とは言えないからです。
とくに我が国の場合、健康診断をはじめ多くの産業保健活動が法的要求として事業者に義務化されていますし、努力義務とされているものもあります。例えば、健診後の事後措置の手順や監督署への報告義務については、法的基準に従って適切に処理しないと大問題になります。どこまでが法律で決まっていて、どこからが法律で決まっていないのか、を理解したうえで実際の行動を判断できるのが専門家です。これらの経緯には歴史的な背景もあるわけですが、法的規範や要求基準がある限りその内容をきちんと理解して、適切な対応ができるのが当たり前です。
もとより産業医は労働安全衛生法(以下、安衛法)にてその職責・職務が規定されていますので、その法的原点を忘れてはいけません。産業医の活動の目的は、安衛法第一条後半にある「職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする。」との概念に包含されていますし、同法第三条一項「快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない。」については、産業医が事業者責任を分掌する立場であるからこそ、産業医の活動指針であると読み込むべきです。
産業保健職ではありますが、事業者の立場に立って安衛法を読み込んでいくことで法令体系が立体的に見えてきますし、他の規範や法令との整合もよく理解できるという面があります。また、法令を逆利用して職域組織を動かすテコにできたりもします。「これは法律違反だよ!」とやんわりと言えば即座に改善が進んだりがあるからです。このように産業保健職は、法令を「守る立場」と「使う立場」の両方に立つことができるという意味で自分の職責を果たすユニークな存在とも言えます。
-広報委員会-
産業保健職にとって法の知識が重要だということはよく分かりました。一方で、産業保健分野と法学分野の専門家同士の連携は、必ずしも十分に行われているとは言えない現状があると思います。このような連携が円滑に行われるには、どのようなことが重要でしょうか?
-浜口-
医療をバックグランドとする産業保健職にとって、病院と違って産業現場には、得意な分野とそうでない分野があります。得意な分野の典型は、健康診断の実施と精度管理、結果の判定や保健指導等の事後措置です。あるいは体調不良者に関する地域医療機関との連携なども医療専門性がないと情報交換はできません。一方で、最近の産業現場には様々な要素が複雑に絡んで発生する事例が増えています。発生した段階で明らかに「医学的な問題はない」と判断されるケースは産業保健職まで上がってこないのですが、だいたいの事例で本人や影響を受けた人たちに健康問題が見られるので、どこかの段階からは産業医等が係わることになります。事例をひも解いていって、医学的な治療をした方がいいという判断になれば即座に医療者として対応するとしても、それ以外の要素の、例えば、人間関係の問題だったり、ハラスメントがあったり、会社の制度上の瑕疵が原因だったりなど、解決していくには医学以外の要因こそ対処しないと前に進まないという場面が多々あります。これらの要素を抽出して一つ一つの是非を判断して、解決の道筋を進めていくためには法的知識の技量が事態進展に大きく影響します。とくに問題当事者は、中途半端な法知識を振りかざして自分に有利なように解釈展開するわけですが、それに対して、高い倫理観と適切な法知識をもって担当者が対応してくれれば、不要な議論を避けることができますし当事者も反論ができません。その意味で、産業保健職が得意としないこういった分野でのサポートがあればどれほど心強いことでしょう。
産業保健職と法学専門家の連携ほど産業現場の問題を解決するのに最強チームはありません。双方ともに専門家でありプロですから、解決能力こそ、現場で問われる能力です。その高い専門性はもちろんですが、解決を目指して互いの立場や考え方を尊重し理解し合うということが重要です。「産業保健法学会」には法学を含めた多職種の方々が集まっていますので、同学会の発展がそのまま相互の連携強化に直結していくと確信しています。
-広報委員会-
先生は長年にわたって日本の産業保健を牽引されてこられました。ここ数年、産業保健分野には大きな変化の時期を迎えています。先生の目から、産業保健の未来をどのように展望されますでしょうか?
-浜口-
どの人間集団にも言えることですが、集団の成長にはその段階に応じた規範や概念ができあがっています。例えば、「産業保健」という言葉を取り上げてみますと、今では皆さんふつうに使っていますが、以前はありませんでした。同じ内容を指して「労働衛生」と言っていました。30年前の産業現場は「健康」優先ではなくて、「衛生」優先でした。実際には、「安全衛生」がスローガンであり目的であり活動の本質でした。それが、「安全健康」になり、「健康安全」になり、「産業保健」というふうに変遷してきています。今では国立機関も、「労働者“健康安全”機構」という名称に変わり、「健康」が先に来ています。おもしろいですね。このように私たちの使う言葉や、社会機関の名称の変遷を見ているだけでも労働安全文化の成長奇跡や歴史の変転を感じることができます。まさに私たちは、すごい勢いで変化している産業社会の真っただ中で帆を上げて航海しているわけで、大切なことは、風向きを読んで舵をとること、羅針盤を失わないこと、そして何が何でも沈まないことです(笑)。
労働安全衛生法が交付(1972年)されて、今年で(2022年)ちょうど50年になりました。この50年はすでに申し上げましたように、「安全」から「衛生」、「衛生」から「健康」「保健」へと変遷した時代でした。ではこれからの50年はどうでしょう、すさまじい速度で変わっていくことは確実です。情報社会ふうにネットイヤーの単位で言えば(3ヶ月が1年)、すでに4倍速で社会は走っていることになります。すると、これまでの過去50年分の変化は、これからの10年余りで起こってしまうことになります。つまり「安全→保健」に50年かかりましたので、これから10年余りで「保健→?」に変化することになります。さて、「?」には何が入るのでしょうか。「快適」かもしれないし、「生きがい」かもしれない。「福祉」あるいは「幸福」かもしれません。
産業医科大学初代学長土屋健三郎先生は、産業医科大学の建学の指針(1977)のなかに「産業化社会における産業医学の確立のみでなく、地域医療との有機的な結合をはかり、もって 21世紀の医学分野における先駆者として、人類のより良い生存をかちとるための新しい福祉社会を樹立することを建学の使命とする。」と書き残されました。これを反映すると、「?」には「生存」、あるいは「福祉」が入りそうな気がしますが、さて、なんでしょうねぇ。これからの産業社会が決めることでしょうが、皆で考えるのも楽しいですね。
一方で社会では、人口減少、企業数減少が始まっています。産業界では「働き方改革」が進められ、メンバーシップ型からジョブ型への就業文化の変化も動き出しました。労働は少数精鋭主義となり、効率的な労働とフレキシブルな労働への注目が集まっています。おそらくこの流れは産業保健職にもやってきて、より専門性の高い人材が選ばれていくことは必須でしょうし、企業における産業保健職の業務ももっと効率的、もっとフレキシブルになっていくことでしょう。産業医の仕事を保健師が役割分担するなどの多職種連携も法的な整備も進むと感じます。
未来の産業社会における労働生活は、過去にないレベルで便利になり、時間的余裕もあり、労働場所の規制も緩和されていくことでしょうが、生物としての人間は変わりようがないので変化する労働環境のたびに、新種の健康問題が出てくることになります。まあ、そこに人間(労働者)がいる限り、産業保健職は必要だ、ということになります(笑)。
-広報委員会-
力強い展望を頂き、有難うございます。ますます変化する産業構造と労働環境の中で、産業保健職にもそれに対応するための努力が求められると思います。これからの産業保健を担う産業保健職に期待することを教えてください。
-浜口-
先ほども言いましたが、すでに技能の高い専門家が必要とされる時代に突入しています。「あなたは産業保健専門家ですか?」と会社幹部から聞かれたときに、「Yes」と答えると思いますが、続いて「どんなライセンスをもっていますか?」「どんなスキルをもっていますか?」と聞かれたときに、果たしてどのくらいの産業医、保健師、衛生管理者等の方々がきちんと答えることができるでしょうか。つい3ヶ月前の話なのですが(2022年7月)、私はある会社の企画に呼ばれてオンラインで産業医活動について講演することがありました。このときオンラインの双方向機能(投票機能)を使って、参加されていた約100社の人事労務担当者に対して、「今来ている産業医の活動に満足していますか?」という質問を選択肢5択で聞きました。過労死問題も昨今取り出されますので、新聞や雑誌で産業医についても話題が及んでいましたので私自身、事業者側が産業医に対してどのような評価をしているのかに興味があったからです。さてこのときの各社からの反応が驚きだったのですが、最初の2択「とても満足している」「満足している」にチェックが入ったのが合わせて25%、「どちらともいえない」「満足していない」「すごく満足していない」の3択のどれかにチェックしたのが合わせて75%でした。つまり、今来ている産業医に対して4分の3の会社が「なんとも言えないか、どっちかというと満足していない」という結果だったわけです。これには驚きました!
この数字は国内共通に言えることではありませんが、ランダムに集まった企業においてこのような数字であるということは、産業医の欲目で見ても、少なくとも半分以上の産業医は企業から「満足していない」と評価されているらしいので、これはとても大きな問題だなぁと感じているところです。まあ、産業医、企業、の双方に問題はあるのでしょうが、私は産業医側の人間ですので、何とか産業医のサポートをしたいと願っているところです。じつは私は、ちょうど3年前の2019年に「一般社団法人産業医アドバンスト研修会(英語名JOHTA)」を立ち上げて、産業医技能を向上させるオンラインプログラムを提供しています(有料会員、無料会員、どちらもあります)。これは日本医師会認定単位とは全く関係なくて(認定単位は取れません)、私の周辺にいる若手産業医からの希望もあって、その希望者に対して彼らを育てる目的で始めたものです。毎週1回、参加型のオンラインセミナーを1時間(月に4回以上)やっていますが、それ以外にもアーカイブコンテンツがHPには400コ以上整備されています。安全衛生の話題からメンタルヘルスの内容、最近のコロナの問題から女性活躍、ナッジ理論、会社組織論・・・などなどを取り扱っています。ぜひ産業医技能をさらに向上させたい先生方にJOHTAにご参加頂きたいと思っています。
まずはとにかく専門性を高めていかないと産業社会の変化にはついていけません。勉強はもちろんのこと、どこかの産業医のネットワークに入っていないと時代に振り落とされてしまいます。またライセンスで言えば、労働衛生コンサルタントを持っているのはもう当たり前ですし、日本産業衛生学会の専門医や指導医の資格も当たり前として取得してほしいですね。
-広報委員会-
4分の3の会社で産業医が満足されていないという結果には驚きました。産業保健職にはますますの努力が必要ですね。そんな産業保健職にとって、法学専門家との連携は何より心強いパートナーシップだと思います。産業保健職を代表して、弁護士や社労士など法学分野の方々へのメッセージをお願いします。
-浜口-
メッセージとはおこがましいです。産業保健職としては、ぜひとも法学の先生方にいろいろとご指導を頂きたいと思っています。私たち医療職は「医学バカ」になってはいけないと思いながらも、気づくと医学医療に偏った思考や判断になってしまいます。そこを、社会法令や法的倫理の観点からぜひご指摘を頂きたいと思っています。
以前、“予防法学”という概念があると聞きました。私たちは“予防医学”の専門家ですから職場のトラブルや労働災害を“予防”することについては大いに関心がありますし、それを法学の観点からアプローチができるということであるなら、非常に興味があります。ぜひ無用な事件や事故、病気や災害を回避するために予防法学を教えてもらいたいですし、もっと交流をお願いしたく思っております。今後とも何卒よろしくお願いします。
-広報委員会-
最後に、日本産業保健法学会への期待があればお願いします。
-浜口-
第1回学会の懇親会でもお話ししたのですが、この日本産業保健法学会の誕生は歴史的な意味を持つと感じています。というのは、ここには歴々の碩学法学者がいらっしゃいますと同時に、そういう先生方を慕って若手の弁護士や法律関係者が集まっています。彼らは数年後には、弁護士としてさらに良質で倫理的な社会活動を展開するでしょうし、学生さんが参加していたら、将来の裁判官の際には適切な理解の元に産業保健問題を采配できるようになることでしょう。あるいは、本学会を通して理解を深めた弁護士と裁判官との交流が増えることで、裁判の判断基準ももっと産業保健的で実務に根ざした内容になっていくのではないかと期待しています。裁判関係に限らず、この学会で知見を得た人事や労務ビジネスマンたちが企業社会の要所要所で動き出せば、産業保健マインドが社会的コンセンサスに成長していって、会社幹部たちの理解も変化していくのではないかとも想像します。そういう意味でこの学会は社会基盤を実質的に良質化する人材育成機関になっていくのではないかと思うくらいです。
日本の産業保健は、独自の文化と法的経緯をもって独特な発展をしてきました。それは他国の安全衛生や健康管理仕様と較べて見れば明瞭です。その意味で、過去になかった産業医学と法学との学術的な学会はユニークであり、我が国特有の形態ということになります。時代ニーズを先取りしたものと言えます。ますますの発展を期待しています。
浜口伝博様 一般社団産業医アドバンスト研修会理事長、産業医科大学産業衛生教授
-職歴-
1985年 産業医科大学医学部卒業、同大学病院内科
1987年 東芝中央病院、(株)東芝 産業医、本社安全保健センター産業医
1996年 日本アイビーエム(株) 統括産業医
2010年 ファームアンドブレイン有限会社 取締役
―賞罰―
1999年6月 第1回土屋健三郎記念産業医学推進賞
2002年5月 第14回日本産業衛生学会奨励賞
2006年5月 中央労働基準局局長賞(産業保健分野)
2008年9月 iSUC(アイザック)最優秀講師Gold
2018年9月 産業医科大学産業医学基本講座最優秀講師賞
2022年9月 産業医科大学産業医学基本講座最優秀講師賞
2022年10月 緑十字賞