芸能従事者の労働安全衛生に関する現状と課題 (全4回 第1回 芸能業界の構造から考える労働安全衛生のリスクとは)

≪日本産業保健法学会 広報誌「喧々諤々」インタビュー≫
日時   令和5年11月29日 18時~20時10分
テーマ  芸能従事者の労働安全衛生に関する現状と課題 (全4回 第1回 芸能業界の構造から考える労働安全衛生のリスクとは)

インタビュイー

森崎 めぐみ(俳優)
一般社団法人日本芸能従事者協会 代表理事  
全国芸能従事者労災保険センター 理事長
文化庁「文化芸術分野の適正な契約関係構築に向けた検討会議」委員

インタビュアー

小島 健一
(鳥飼総合法律事務所 
パートナー弁護士)
森 晃爾
(産業医科大学 産業生態科学研究所
産業保健経営学研究室 教授)
岡田 睦美
(富士通・
日本産業保健師会会長)
彌冨 美奈子
(株式会社SUMCO
全社産業医)

第1回 芸能業界の構造から考える労働安全衛生のリスクとは

《目次》

 <1-1 芸能業界の重層構造の特徴>

 <1-2 現場のリスクを管理するのは誰か>

 <1-3 責任の所在が不明瞭な芸能業界>

 <1-4 スポンサー企業の責任を明確にすることから>

 <1-5 芸能業界のマネジメント契約のあり方・課題>

 <1-6 芸能従事者に契約書のフォーマットを提示することは意味がある>

《インタビュー》

森崎 初めまして森崎と申します。よろしくお願いします。

小島 この『喧々諤々』という広報コーナーは、定説がない話題、あるいは常識をひっくり返すような話題であっても採りあげ、できるかぎり当事者や関係者にも参加していただき、実情をみなさんにお伝えして一緒に考えてもらうことを目指して運営しています。どうぞリラックスして、ざっくばらんにお話しいただければと思います。

 

<1-1 芸能業界の重層構造の特徴>

 われわれは、俳優も含めて芸能従事者の表面的なところしか見ていないのだろうと思うのです。非常にリスクのある働き方をさせられているのはこのあたりだというような全体を一度お話しいただくと、その後はとても分りやすくなると思います。どうもテレビを通してですと、表面のきれいなところしか見ていないような気がするので、そのあたりを少し教えていただけますか。

森崎 国会議員にたとえるとよく解るそうです。テレビを見ている人は、国会議員は国会で質問している時だけ仕事をしていると思われるそうです。まさにそれに近くて、私たちがテレビや映画に映るのは秒刻みなのですが、たとえば1秒とか3秒で「はい、そうですネ」と言うシーンを撮るだけでも、事前に衣装合わせや脚本の読み合わせをした上でロケ地に行き、メイクや着替えをして、衣装を着けてリハーサルすると、おそらくそのシーン自体の何百倍の時間がかかってもおかしくない。しかも、裁量労働とは言われるものの、かなり指揮命令は強いです。たとえ画面には私1人しか映っていなくても、現場には少なくとも30~100名ぐらいのスタッフや共演者がいます。その他に役者の背後に見える植栽を含む美術から、何から何まであります。

芸術家や芸能従事者は労働者ではないと言われて長いのですが、そういう認識の人は山ほどいます。私は特定作業従事者という労災保険を適用するように厚労省に要請したのですが、なぜかと言いますと業種が多いからなので、一人親方のように工事をする「人」と定義してしまうと、一握りしかいなくなるのです。俳優というのは全てのパートの中の一部にすぎず、たとえば映画などでは、企画から撮影・編集・宣伝まで全過程を含めると60パートぐらいあると言われています。私たち俳優はその中のほんの一握りです。私たちの全国芸能従事者労災センターは、最初の1年目は400人加入されて63業種だったのですが、2年目には、600人143業種に増えました。これはコロナの影響もあります。たとえば「『舞台映像』という業種が新しくできまして、舞台なのか映像なのかよくわからないネーミングですが、舞台を映像配信するという仕事が、コロナ対策で劇場を無観客にするために新しく生まれて、それに関わるスイッチャーや舞台映像カメラマンなどがたった一年の間に出てくるという、非常に流動的に新しい仕事、作業が生まれやすい業界だと思います。

 それぞれの立場ですが、テレビ局などに雇用されている人たちは本当に一部で、みなさん個人や色々な形で関わって、その上にひとつの現場があるという感じなのでしょうか。

森崎 そうですね。テレビ局では、アナウンサーは別として、スタッフは滅多に雇いません。番組の制作現場はほとんどがフリーランスか下請けです。今は旧ジャニーズなどで問題になっていますが、責任者は非常に少ない。安全衛生管理者を置く術もないというのが実情だと思います。

 実はコロナ禍でドラマが撮れなくなった時に、NHKがコロナ対策をするドキュメンタリー付きのドラマを作ったのです。その際、感染予防対策を私が監修したのですが、初めて緑山スタジオに行き、そこで本当に色々なものを見させていただき、「ああこういう世界なのだ」ということを、今、森崎さんが言われたようなことを現場で少し垣間見たような感じがしていて、なかなか勉強になったのですが、本当に一人ひとりがプロ意識を持って関わっているのだということが大変印象に残っています。その一人ひとりは今回のものを撮るためだけにその場に集められただけなのですね。

森崎 基本的にそうです。

  『不要不急の銀河』というドラマだったのですが、そこでNHKでマニュアルを作り、その後は大河ドラマや朝ドラなどで参考にされたり、だんだんと広がっていきました。

森崎 そうでしたか!その時にアメリカの俳優組合からコロナ対策のガイドラインが回ってきて、みんなで訳して参考にしていました。向こうは感染症や安全衛生対策が大変厳しいです。おっしゃるとおりで現場は一期一会だとみなさん言うのですが、1回共演したら一生会わないかもしれないというのが普通で、「旅の恥はかき捨て」的な感じもあり、逆に言えば一度でも共演するとご縁を大切にするということもあります。

小島 ひとつの現場とかひとつのものを作る時に誰が関わっていたのかをきちんと把握され、記録されるものなのでしょうか。

森崎 いちおう台本には全員の名前が書いてあるのですが、たとえば助監督でしたら3rdから4thぐらいまでいても、人が足りない時によく「丁稚(でっち)」と言われる短期間のお手伝いを日雇い的に募ったりしますが、そういう方までは名前がなかったりするので、すべての人は把握されないです。ただ、基本的には台本、当日の撮影台本には名前が書いてあります。

小島 エキストラさんもいますね。

森崎 エキストラさんに役名はないです。ただ、氏名表示権というものに関わるのですが、たとえば昔ならアクションの方が、団体名しか載らないということに対して、著作権の一部なのですが、氏名を表示してくださいという動きがありました。それからは、エンドロールなどに氏名が載るようになりました。そのかわり人数が多いので非常に速いスピードで氏名が流れたりします。なるべく氏名を表示するようにはなったものの、完全ではないとは思います。

小島 テレビ局や大手の映画会社の先に色々な制作会社などがあって、そのいくつかの法人が横に並んだり、重なったりして、ああいうところが事実上は仕切って動かしているのではないかというイメージがあるのです。つまりテレビ局や映画制作会社はあまりにも偉くて、ある意味ではエリートと言いますか、ビジネス的であって、一方、アート的と言いますか、制作のところはまた外の会社がリードしていて、結局そういうところが俳優さんやスタッフの技術の人たちをかき集めたりするのだと想像しているのですが、どうなのでしょうか。業界の外にいるとそういうところがなかなか見えにくく、表に出てきませんから実態がよく分りません。

森崎 そのとおりだと思います。数えたところ6次や7次ぐらいの重層構造になると思います。すべてピラミッド構造です。上からの指令があって、各パートごとに指揮系統が縦になっていて、横ではないです。

Megumi MORISAKI (2023) Ind Health, 61, 393–394

小島 個人であっても、自分もフリーランスで受注をしますが、それをまた誰かに発注するということで、個人が受注し、またさらに個人が発注するという、雇われる側と雇う側の両方を兼ねている人が途中にたくさんいるわけですね。

森崎 そういうことです。それがフリーランス新法の制度設計の時にも驚かれました。フリーランス同士で雇い人がいるというのが。

小島 本当に不幸なことがあると責任を負えないですね。

森崎 負えないです。センシティブな話しですが宝塚歌劇団では俳優を俳優と言わないらしく、劇団員といっています。要するに何でもやらなければならないのです。それで日常的にそれぞれが発注したり受注したりという関係が生まれます。たとえば何か足りないなら作らなければいけない、例えば小道具を作らなければいけないとなると、作る人と作らせる人が出てきたり、劇団では受発注がゴチャ混ぜで、演出家のような最高指揮者のような人はいますが、劇団員は何でもかんでも分担してやらなければいけないので、上級生が指揮をしていくという徒弟制度的なことが色濃いと思います。立場ははっきりしているのですが、相当に混乱しがちだと思います。

小島 結局、オーケストラをたとえに出していいかどうかは分かりませんが、演奏の指揮そのものは、指揮者がやるにしても、段取りなどはみな自分たちで分担し合っていたりして、完全に横並びかと思うとそうでもなく、どんどんと下請けのようなところに個別に出していく感じになりますか。どこかが責任を持って全部契約するのではなくて。

森崎 いちおうどこかが責任を持って契約をしないといけないことになっているのですが、たとえば先ほど話しに出た撮影の時にも、一部海外ロケなどですと、海外ロケ班ができると、その班は海外専門のロケチーム会社に発注します。そうなると下請けの制作会社がさらに下請けに出すようになっています。それで孫請けになったチームを上の注文者の人は直接知らないということがあると思います。

 

<1-2 現場のリスクを管理するのは誰か

森 今のお話しは、たとえば現場で、このような場所ではこのようなことをさせてはいけないという話しとか、色々な人間関係があったりとか、人間関係以外にも色々なストレス要因によってメンタルヘルス問題があるというようなことと、さらに色々な安全衛生のリスクがありうるなど、多様な課題があるというイメージを持ちながらお聞きしていました。最初の方のこういうところでこんなことをしたら、それは危険だ、配慮が足りないということは、誰がどこでそれを決めていて、その本来の責任はどこにあるべきなのでしょうか。

森崎 難しいところなのですが、現実的には監督や演出をする人が、危険なことを演出してはいけない、指示してはいけないという個人の常識で決めている状況に近いことが多いと思います。もちろん厚労省から事故防止対策の通知が数回出ていますが、あまり知られていません。ただ、海外では、安全に関する役目があるプロデューサーあるいは安全衛生管理者が現場に付いているそうです。日本はまだそこまで至っていません。任意と言いますか、その人の善意に任せられているようなところがあると思います。

 その話しを聞いてひとつ思い出したことがあります。災害が起こった時や危機に対応する時に、指揮官のもとに色々な役割の人が周りに集まってくるのですが、アメリカの仕組みはそこに必ずセーフティオフィサーという役割を指揮官のもとにおいていますが、同時にこれは危険だから仕事を止めろと直接指示する権限を持っているのです。そういう人を必ず置いて、どちらかと言うと指揮官が近視眼的になるのを、そこだけサポートするという仕組みを必ず作ることになっているのです。その制度を日本に持ってきた時に、そこがぼやけてしまい、そのような話しではなくなってしまっています。今の話しを聞いているとそれと非常によく似ている話だと思いました。

森崎 その通りだと思います。したがって逆にやってできないことはないと思うのです。私たちが連携しているアメリカのSAG-AFTRA(映画俳優組合・米テレビ・ラジオ芸術家連盟:Screen Actors Guild – American Federation of Television and Radio Artists)は、先だってストライキを118日間もやっていた組合ですが、例えば監督が演出で、突然ここで転んでくださいと言うと、必ずしも俳優本人にやらせるのではなく、必要に応じてスタントマンを手配するそうです。たしか一転び6,000円位ギャラ(報酬)が加算される規定だったと思いますが、特殊技能と定義しているため、報酬額をその場で契約し直すらしいです。どこからスタントマンが必要かということが、かなりきちんと明文化されていると聞いています。そのあたりが、まだまだ日本では曖昧です。また、事務所の交渉力の違いもあり、日本でも気をつけてはいるのですが、まだ構造的にできあがっていないので難しいのだと私は感じています。

森 目的が「いいものを撮るぞ」であったり、時間に追われていてこれをやるぞと一生懸命にやっている人に、安全とか健康の視点をきちんと持ちながらやってくださいと言うのは簡単ですが、それを実践してもらうことは、とても難しいですね。

森崎 無理だと思います。すべての責任を監督に押し付けてしまったりするのは現実的ではないし実効性がないと思いますが、ほとんどそうなってしまっています。

 監督自身もフリーランスなのに、「監督がそんなにいいシーンを撮りたかったら、もう1日増やして、自分のギャラを持ち出ししてやってくださいという話しになりがちです。そうなったときに「ウーン、それなら諦める」と言う人は意外にいなくて、「はい、やります。」といって、どんどん持ち出して赤字になるのです。監督は気の毒な立場です。

 

《ディスカッション》

<1-3 責任の所在が不明瞭な芸能業界>

小島 体制の問題や契約形態という構造の問題ですが、たしかに芸能界は非常に特徴的であるものの、建設業界に似ている面もあります。しかし、建設業界のような規制が現在はないことや、建設業界でのゼネコンに相当するような企業体が、芸能界ではたとえば芸能事務所とか制作会社は個々には小さくて力がないので、テレビ局さらにはスポンサー企業というところまで巻き込まなくては、責任を取ってやる体制は難しいと私は感じているのですが、スポンサー企業にそこまで求めるのはなかなか長い道のりになりそうだと思っています。

森 なぜ建設業ではうまくいったかと言いますと、おそらくゼネコンが責任を取らなければいけない環境があったからだと思います。ゼネコンに発注をした企業や個人がいて、そこで事故が起きると発注元に実質的な損害が生じるので、ゼネコンに対してプレッシャーがかかったと思うのです。

小島 建設業において事故が起きると発注者に発生する実質的な損害とは何ですか。

 たとえば工期が遅れたりとかもありますが、○○会社のビルを作る時に事故が起こったということが後々言われることになります。何とかという公共団体、あるいは地方自治体が作っている橋で死亡事故が起こったと言われがちです。テレビコマーシャルのスポンサーに責任を生じさせるためには、このスポンサーのコマーシャルを作るときに事故が起こったと言われるところまで社会がいかないと、スポンサーには何らの損害も責任も生じないので、現在の環境では、スポンサーがテレビ制作会社にプレッシャーをかけ、それでスポンサーが何らかのプラスアルファを払おうということにはならないのではないかと思います。

小島 それはおそらく、本来はレピュテーションの問題ですね。今までもそういうことが表向きに話題になればそういう動機が働いたのかもしれませんが、どちらかと言うとそういうことは、スポンサー様には分らないように、あるいはスポンサー側からもそういう話しは、きちんとそちらできれいに処理しろということで、間に入っている業界がそこをブロックして表沙汰にならないようにする役割を果たしてきたのだと思うのです。

 ただ、事故が起きてもそれが表に出ない限り、次のステップにいけないのではないかということです。個人事業主の事故も何らかの形で発注関係があったとしたら、どちらが報告するのかという議論がありましたが、労災としては報告する制度にしようというのが、先日の「個人事業者等に対する安全衛生対策のあり方に関する検討会」で出ていました。制度化には、最低2年ぐらいはかかるでしょうが、何が起きているかがきちんと明るみに出るような仕組みで、契約関係の安全配慮義務でカバーできるものは何かというところから積み上げないといけないですね。とても道のりが長すぎる感じがします。

小島 安全配慮義務の民事責任は、非常に実質的な判断なので、従前から契約形態にかかわらず、リスクを感知して何とかできる立場にいるのなら責任を負うということがセオリーですから、民事責任の追及は、今でも本当はバンバンできるはずなのです。しかしそれは裁判を起こして最後まで裁判をやりきれないと判決にはならない。そもそも裁判を起こすまでの力が個々にはないのです。

 そうですね、民事はそうなります。

彌冨 たとえば制作会社に、建設業で言うところの統括安全衛生責任者や店社安全衛生管理者のようにきちんと現場を管理するがいて、きちんと機能しているかということをスポンサーがチェックするようなことがない限りうまくいかないということなのでしょうか。

小島 おそらくそうなのでしょう。それを法的にチェック義務のようなものにまで高められるかどうかということだと思うのです。

 すべてに制作会社が絡んでいるわけではないですよね。先だってコロナの時のドラマを撮った時はNHKだったのですが、NHKにはプロデューサーがいて、さすがにプロデューサーはあまり現場に行かないのですが、コロナ下での撮影でしたので、1日に1回はきちんと行き、挨拶をして最後に確認をするということをしていました。監督さんを決め、監督が配役などすべてを決めるのですが、大道具や小道具の人たちなども結局は個人事業者で、そこのつながりがあるので、黒澤組というような○○組というつながりの中からはずされるとなかなか声がかからなくなるのではないかという精神的な状態にあるのではないかと思いました。先ほどは民事と言いましたが誰を訴えたらいいかも分らないかもしれない。また、訴えられないというプレッシャーもあるかもしれません。

小島 本当にそうだと思います。お金のないところを訴えても良い和解を期待できないので、そうなるとお金のあるところは、現場に関与していない。そもそも本当に知らないということで、民事責任で予見可能性というものを認定しにくいのです。やはり危険が漠然とあるかもしれないということではなく、こういうことでこういうことが起きるかもしれないと気づいて当然という情報までは入ってきていない。それはそもそも「よろしく」と言うことで、細かいことまでこちらに言うなということで、上に行けば行くほど情報は遮断されているのですから、知らなければ責任は問われないという発想になってしまっているのです。

 民事責任を問うことができるようにするためにも、知らなければいけないという義務を課していかないとだめです。知らなければいけない義務があるにもかかわらず、知ろうとしなかったというのであれば、責任は問えるのです。

彌冨 芸能界は建設業と同じように重層構造にはなっていますが、建設業は上の方までレピュテーションリスクの顕在化による損失は認識されやすいが、芸能界は上の方までレピュテーションリスクが伴いにくいところが大きな問題だと思います。

小島 まさに、水商売ですね。建設業では特定の現場があるので、職場環境がはっきりと目に見える形で現れるし、中・長期的に継続して集まって行われるわけですが、テレビや映画の世界では、巨大なプロジェクトがあるとしても、日々違う人たちが集まり、色々なところで撮影したものを組み合わせて最後にひとつのプロダクトにしていたりすると、その向こう側で何が起きているか、責任ある立場の方には見えにくいのでしょうね。むしろ、それはうまくやってくれという意識もあるかもしれません。

岡田 映像などはカット割りでして、それが最終的に統合されて1つの画面になったりしますから。

 レピュテーションリスクは、最近はSNSなどがあるから、それで拡がる要素がありますが、報道がどう動くかでレピュテーションリスクは変わってきます。要は報道がグルになっていれば難しいですよね。最近のジャニーズの時の報道は吐き気がするくらい気持ちが悪かったです。自分たちにも責任があることを、半分ブレーキをかけながら報道をするという最初のころの姿勢は本当に気持ち悪かったです。

 

《インタビュー》

<1-4 スポンサー企業の責任を明確にすることから>

森崎 なんだかんだ言っても、私たちはスポンサーがあっての仕事ができる身で、スポンサーは企業でいらっしゃるので、やはり企業の方には責任を感じていただきたいと思います。そこで先日、私は民放連という民法テレビ局の連盟に行きました。旧ジャニーズの問題は、たかがマネージャーとタレントの問題なのですが、それがなぜ社会問題になるのかと言いますと、テレビ局に出資していたからです。原資はスポンサー企業の広告費なのです。要するに大元請けがスポンサー企業なので、これでいいのかという話しになります。まさにこの問題提起を元ジャニーズの方がやってくださったのですが、企業が責任を持って私たち現場で働いている人の職場環境を守る役割があるのではないか?ということです。建築業はそうやっているではないですか。ゼネコンが事故の責任をもっているではないですか。それでいいのです。そこをやってもらいたいのです。企業に予算を取ってもらい、安全衛生費を作り、テレビ局が使う横断的な仕組みができれば、相談窓口をひとつ作って、スポンサー企業が相談事例を見える化してくれればまったく難しい話しではありません。

 スポンサーであることの責任をきちんと考えていきましょうということですね。

森崎 そうです。

 まったく違う世界の話しですが、フェアトレードというのも、結果的に商売する上で、もとになっている労働は何だということですが、そこに関心を持ってやっていきましょうということが非常に重要になっているということとかなり近い話しですね。

森崎 そうだと思います。今回は国連の人権委員会が来てくださった時に出された声明でその点を指摘してくださったと思うのですが、ただビジネスと人権のサプライチェーンの責任がどこまで及ぶかが明確に決まっていないようなのでやや弱いのですが、しかし現場で働いているわれわれのような7次下請けのような人間が、しかもテレビ局のスタジオのトイレやNHKで未成年への性加害が日常的に起きていたことが今やっと顕在化して、それがその場を管理する人の責任だと考えられるのであれば、もうそこに企業が入ってきてもいいと思うのです。

 

<1-5 芸能業界のマネジメント契約のあり方・課題>

小島 よく分らないのですが、俳優さんの「事務所」とはよく言いますが、あれは事務所との雇用契約なのですか。事務所に色々と縛られて、仕事を取ってきてくれたりするのでしょうが、その事務所とはどういう役割を果たしているのか、守ってくれないのでしょうか。そこはどうなっているのですか。

森崎 それを言うのは私も心苦しいのですが、正直に申しあげて雇用されている人はほとんどいないと思います。今まで雇用されていると聞いたのは、たとえば事務を手伝っているとか、それこそ裁判で、カフェを経営していた劇団で、劇団員の俳優がそのカフェで働いていたから労務管理がされていて労働者性が認められたような例がありますが、俳優として認められたのではないと思います。

小島 そうしますと、マネジメント契約などを結んでということになるのでしょうか、個々の出演などをする時のお金は事務所に入るのでしょう。個人は制作側と直接の契約はしないのですね。

森崎 そうです。そのことを公取委なども指導してくるのですが、契約関係がねじれていますよ、と指摘されます。つまり本人は契約をしていないことになります。事務所が制作会社と契約をして、労務は制作会社に直接提供している。制作会社と契約しているのは事務所です。それならマネジメント契約をきちんとしているかと言いますと、実は契約書面を交わしていなかったりします。

小島 労働者供給契約ですね。まさに職業安定法で禁じられている形態です。

森崎 そうです。1年以上の契約があるわけではないので派遣にもならないのです。派遣法ですと派遣手数料は30%が上限らしいのですが、30%しかマネジメント料を払わなくてもいいということですとかなり少ない方の金額なります。私が聞いた中で一番多い方は9割という方もいます。昔は「派遣類似」と言っていたらしいのですが、今は有料紹介と言っています。

小島 それでは家政婦さんですね。

森崎 家政婦にもならないと思います。

小島 上前をハネるけれど雇用責任はとらないということで、お仕事を手配してそこに送り込む。

森崎 そうです。11月20日に出版された『フリーランスの働き方と法 実態と課題解決の方向性』(鎌田耕一・長谷川聡 編集 日本法令)という本の実態編で、「文化芸術分野の実態と課題」を書かせていただいた時に、私が言っている芸能のピラミッド構造を文献で調べなさいと鎌田先生に言われてさんざん調べた、東大の博士論文に日本近世における芸能の歴史的性格に言及したものがあり、芸能は「芝居」と「遊女」を支配する多元的な構造があると書いてあるのを見つけました。日本の芸能の存続環境は、芸能集団と観客と興行師で成り立ったと論じられていました。

その方のご論考では、まさに興行師の地方の流通網によって発展したのが芸能ネットワークだそうです。

小島 したがって、契約関係を整理するだけでも本当はだいぶ違ってくるはずですね。

森崎 その通りだと思います。対象拡大で適用された特別加入労災保険の認定には業務遂行性の確認でどうしても契約書が必要だと、文化庁に契約の検討会を作っていただくようにお願いして実現したのが、「文化芸術分野の契約関係構築に向けた検討会議」です。当初は契約書面化の検討会のはずだったのですが、そこまで至らずに、「契約関係構築に向けた」となりました。検討会の労使の委員構成で、私は委員を受嘱したのですが、議論の末にやっとガイドラインを作ることができました。芸術・芸能分野で政府によるはじめての契約ガイドラインという位置付けで、契約ひな型もできて、そこに安全・衛生の項目も入れられました。喧々諤々でしたが…。

小島 派遣法に則った派遣でさえ、労働安全衛生については、派遣元と派遣先の両方が責任を持つという建前にはなっているものの、分断されてしまい、なかなかうまく機能しないという実態があります。それでも、一応は、責任者を両方で決めて書面化するようになっていたりはしています。やはりマネジメント契約というものを見直していく必要がありそうですね。

 

《ディスカッション》

<1-6 芸能従事者に契約書のフォーマットを提示することは意味がある>

彌冨 個人事業者として扱われている方の中には、森崎さんのお話しにもあったように従属的な働き方をされている方も相当いらっしゃると思いました。小島先生もご質問されていたと思うのですが、労働法の適用逃れのような実態も背景としてあると感じたのですがいかがでしょうか。

小島 まったくそのとおりだと思います。事務所と所属タレントの関係は、本当は雇用契約でやっていてもおかしくないぐらいの従属性があることが少なくないと思うのですが、雇用契約にしているのはほとんど皆無に近いということでした。仕事を選んできて取ってくるのは事務所だということで、個人タレントが発注する制作サイドのオーディションを直接受けてやっていくという環境ではないために、仕事の管理や選択については相当程度従属してしまっている。このあたりが契約構造の問題ですね。

彌冨 特に人的な従属性がかなり強い。

小島 それは仕事を個人で取れないからなので、経済的に自立し、仕事を直接取れるのであれば、仕事の内容についても自分で調べて選択し、交渉もする機会もないわけではないのでしょうが、事務所が取ってくる仕事に無理に合せてでも従うしかない。そうしないと仕事にありつけないという構造によって従属させられてしまっています。

大谷翔平の契約で、大谷が途中で解約する権利を持たなかったと当初は言われましたが、実は、オーナーか編成本部長が代わった時は、途中で契約を切れる条件になっていると分かりました。つくづくすごいですね、彼の考えは。やはりお金を集めてきて、どういう体制で選手や監督を集めて育成するかという大元のところを抑えて、そこが信用できるか信頼できるかがコミットする条件だということなのだろうなと思います。

彌冨 私も本当にすごいなと思いました。大元が替わると体制がガラッと変わるので、そこで解除できるというのはすごい契約内容だなと本当に思いました。

岡田 大谷選手ぐらいの契約書は本当にすごいと思うのですが、私がこれまで見聞きしたフリーランスの俳優さん達の契約書は一方的な契約書が多くて、出演者に対するケガや安全配慮などの補償はほとんど書かれておらず、途中で出られなくなった時の賠償責任のようなものがたくさん書かれているのを見たことがあります。そこに一筆、安全補償と言いますか安全配慮が入っていかないとまずいと思いました。

小島 やはり契約書のひな型を作るというのは意味があると思いますか。

岡田 そうですね、標準的な契約書のひな型が示されたことの意味は大きいと思います。

小島 厚労省のモデル就業規則をそのまま使っている会社が、中小企業ではほとんどなのですから。それなら契約書のフォーマットを作って用意してあげればいいので、それで自然になじんでいくと言いますか、双方がそういうことなのだなとなる。

岡田 小さなところからやっていくのもいいですね。

小島 日本の契約慣行でよくないと思うのは、結局、裁判にすることが少ないので、極論すれば、法的有効性が疑わしい、明らかに無効でしょうというものも書いて脅しに使うのです。今言われたような損害賠償の条項など、従業員に対しても、何か失敗したら罰金を払えとか、給料を引くとかで、そんなものは裁判所では認められないのに平気で書いていたりして、また本気でそれができると思っている経営者がいたりします。独立事業主という建前からすると、それは直ちに無効とは言えないかもしれませんが、どう考えてもバランスを失している。裁判になったらその時にだめだと制限されるとしても、牽制するためだけに入れておくのだからそれでいいという感覚で作っている場合がけっこうあるのです。

 私は、書くのは自由ではなく、そういう契約を作り相手にそれを飲ませたということ自体が不法行為に問われる危険があるぐらいのことを意識させた方がいいのではないかと思います。

岡田 おっしゃるとおりです。

彌冨 日本芸能従事者協会が雇用契約のひな型を推進したり、今設置している臨床心理士によるメンタルケアの相談窓口に加えて仲裁機関などをお持ちになる機能があるといいのではないかなと思って聞いていました。

小島 日本は懲罰賠償の制度がないので、企業にとって裁判に負けることの経済的な損失は非常に小さいのです。実損害を補填するというのが日本の損害賠償法であり、精神的な損害や様々なものが金額に換算しにくいものであることから、どれほどの金額の損害なのかがなかなか判決で認められにくいのです。そうしますと、労働者にとってはその金額は馬鹿にならないとしても、経営やビジネスにとっては、結果としてさほど痛い金額ではない。むしろ一般的に、企業は、裁判のための弁護士費用とか、そこに関与する人的コストやレピュテーションを鑑みて裁判を避けようとします。

 これらを気にする必要がないとすると、裁判手法を通じて社会を変えていくのは、なかなか簡単ではないのです。アメリカなどの懲罰賠償がある国では実損を度外視した多額の賠償が民事で命ぜられるのです。したがってやはり馬鹿にできないのでリスクマネジメントをしなければいけないというところがあります。日本の実損害の賠償というのは、被害に遭ったからと言って、それで何か得をしたということはおかしいのではないかという発想がベースにはあります。この発想の最大の弱点は、強者は法に違反して人に損害を与えてもやった者勝ちと言いますか計算できるリスクになってしまうということです。

岡田 そうしますと小島先生、海外の芸能従事者は日本とは違う仕組みの中でやっているということですね。

小島 懲罰賠償ということでは、ハラスメントだけでも何億、何十億という賠償を命じられたりするのです。その支払いを受けた労働者には、揶揄したり批判したりする人もいるかもしれませんが、ひがんでみんなで足を引っ張るという感覚はそうないかもしれないですね。みなさんの声を代表して闘ってくれたのですから、その人がそれを手に入れてもいいではないかという発想かもしれませんね。それよりも相手を痛い目に遭わせて、社会が変わる方にメリットがあると考えているのではないかと思います。

 日本はすぐに「焼け太り」だととらえてひがむという感じがします。もう少しみんなに社会変革などという、大きな視点を持ってほしいですね。

岡田 海外と違い、なかなか声を挙げにくいということにつながっている。

小島 これから変わらなければいけないし、変わるでしょう。

 

(芸能従事者の労働安全衛生に関する現状と課題 第2回に続く)