座談会:日本型雇用のこれまでとこれから(前編)

≪日本産業法学会 広報委員会 座談会≫
日時   令和5年11月16日
テーマ  日本型雇用のこれまでとこれから(前編)

参加者

ゲスト: 倉重 公太朗 先生
(KKM法律事務所 弁護士)

(産業医科大学産業保健経営学研究室)

小島健一先生
(鳥飼総合法律事務所弁護士)
(京都工場保健会)
保健師 齋藤明子
(株式会社 ヘルス
&ライフサポート)
高野美代恵先生
(オフィスME 社労士)
(ニシワキ法律事務所)
司会:森本英樹先生
(森本産業医事務所
医師・社労士・公認心理師)
(原労働安全衛生管理コンサルタント事務所)

 

<はじめに―自己紹介>

森本 今回は産業保健法学会の広報委員会の企画で、倉重先生をゲストに招き、「日本型雇用のこれまでとこれから」を議論できればと思います。産業保健職にとっても近いテーマだと思います。その一方で、産業保健職は人事労務分野に直接タッチしているわけではないので、有意義かつ新鮮に感じてもらえると思っています。よろしくお願いします。

倉重 こういうテーマに産業保健の皆さんが興味を持ってくれるのがうれしいですね。時代も変わってきたのだなという感じです。

森本 そうですね。従来型の日本型企業というような言い方になるのでしょうが、そこに関与されている産業医や産業看護職の方は、多くおられると思います。人事労務関係者も含め、社内で「この人はどうするの? どうなるの?」というようなことを、それぞれの立場で考えておられるのではないでしょうか。彌冨先生などは大企業をみられている一方で、高野先生など社労士の先生は中小企業をみられていますので、企業間の実態についても出せればいいと思っています。

倉重 分かりました。私はどちらも、大企業も中小企業もみていますので、それからスタートアップもみていますのでよく分かります。

森本 まず皆さまの自己紹介からいただければと思います。

倉重 弁護士の倉重です。KKM法律事務所代表ということで、労働法が専門で弁護士19年目、労働法は18年間やっています。

日本の場合は使用者側と労働者側に大きく分かれるのが通常でして、そういうように分かれるのは日本と韓国ぐらいだと言われます。欧米では「お金さえもらえればどちらもやる」という感じですが、日本の場合は、後ほど出てくる日本型雇用でも労使の対立が激しかった時もあり、思想的な分断のようなものも起きていて、それに沿うような形で弁護士も、経営者側・労働者側に分かれていて、おもに経営者側もやっていますが、一部、労働組合の顧問弁護士もしていて、私は、心ある労働組合には分け隔てなく応援したいと思ってます。

森本 次に小島先生から自己紹介をお願いできますか。

小島 倉重先生が弁護士で、労働法が専門であることから、同じようにかぶっているところはあるのですが、倉重先生もおそらく最初の事務所ではやられていたと思うのですが、私は、外資系企業の人事に育てられたようなものであり、ほとんど人事パーソンのようなものです。裁判はあまり慣れていないと言いますか、苦手なくらいでありまして、コンサルタントのように外資系企業の退職勧奨の手伝いばかりやってきたような経歴です。本日はお話しを聞けるのを楽しみにしていました。

森本 それでは彌冨先生からも自己紹介をお願いします。

彌冨 株式会社SUMCO産業医の彌冨と申します。倉重先生とは今年の学会の模擬裁判でもご一緒させていただきました。模擬裁判でのバチバチとした臨場感は今も覚えています。今回もよろしくお願いします。

倉重 お願いします。裁判はやはり勝負の場ですからね。

森本 高野先生の方からもよろしくお願いします。

高野 社会保険労務士の高野と申します。社労士は労使の中立の立場ということがあり、労使の争いのない職場づくりのため、事前に体制を整えていくというサポートもしています。よろしくお願いします。

森本 私の方からですが、森本と申します。私は平成16年卒で医者をしていまして、今は産業医専門の事務所を構えて10年ほどです。それまでは、ある企業、いわゆるJTC(Japanese Traditional Company)と言われるような重厚長大な製造業の専属産業医をした後に、今はこうして独立しています。私が一風変わっているのは、産業医だけではなく社労士や公認心理師のような資格も持たせていただいていて、そうした多角的な目線からみることができればという気持ちでおります。今日はどうぞよろしくお願いします。

 

議論の前提となる「日本型雇用」の定義について

森本 今回は「日本型雇用のこれまでとこれから」ということで、まず日本型雇用の定義の整理に移っていければと考えています。教科書的には日本型雇用の終身雇用や年功序列、企業別労働組合を指すという認識になると思いますが、その前提で進めさせていただいていいかという部分と、この部分は少し掘り下げておいた方がいいというようなことがありましたらお願いできますか。

倉重 文脈によっても日本型雇用、日本的雇用システムが何を指すのかでは色々な意味がありうるところで、よく紹介されるのは今言われた3つだと思います。あとは新卒一括採用とか、最近ではメンバーシップ型雇用と言われるような、配置転換も含めて職種の無限定性もジョブ型との対比で特徴だと言われていると思いますので、議論次第ではそういうことも入ってくると思います。

森本 ありがとうございます。たぶんこのあと、メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用のところは話題として議論で出てくると思いますので、ぜひそのあたりはよろしくお願いします。

まずはこの部分を議論のベースとして話しをしていくという流れをしつつ、変化についても話題にしたいと思います。たとえば終身雇用については、今は18歳とか22歳で1社に入り、そこでずっと勤めあげるという人もかなり少なくなってきています。私も産業医先で経験しますが、中途採用の社員さんは非常に増え、当たり前という世界になっています。たとえば産業医の立場で従業員さんから「この会社は私とは合わないので、そろそろ転職をしようと思っている。」という話しを聞きますし、転職年齢についてもこの10年でかなり変わってきていて、昔は「30歳まで」であったのが、35歳・40歳といわゆる年齢の壁などもかなり変わってきていると思います。

 それから契約社員や派遣社員さんとか、それがどこまで自分で求めてやっているのか、そうせざる得なかったのかということは、もちろん出てくると思いますが、やはり非正規社員の割合は高くなっています。

 まずは終身雇用の移り変わりということに関して、まずご意見をいただくことができればと思います。

 

終身雇用はもうないのか

倉重 終身雇用という意味では、崩壊しつつあるとか、「もうそんな時代ではない」という意見も多くみられる一方で、しかしまだまだ残っているという、この両面があります。やはり経済状況や社会情勢の変化と言いますか、今は昭和の時代と較べてこれほど不確実な時代になっていて、5年先のことも分らないのに、新卒で22、23歳で入社し、定年が60歳、定年後再雇用を入れて65歳、さらに努力義務のところまで入れたら70歳ですと、50年先のことは、会社があるかどうかも含めて分らない中で、本当に実現するのかという根本が揺らいでいるのは事実だと思います。

 実際に意識としても「転職するヤツはだめなヤツ」という意識はさすがに少ないのではないかと思う一方で、50歳を過ぎたら転職率はかなり低いとか、岸田政権の中でも三位一体の労働市場改革というものを今年は出していますが、その中で雇用の流動性をもっと高めなければいけないという指摘もあり、現状に安住する人々という言い回しもありますが、そういう人を適材適所と言いますか、どうやって成長産業に移していくかというのは、なお課題です。

 さらに根本で言えば法律というルールで、終身雇用の前提として労働契約法という法律がまだ残っていますので、そういう意味では法律的にはなくなっていないということなので、半々かなというのが正直な感想です。

 

不本意非正規雇用も減っている

森本 資料を提示していただいた「非正規雇用の現状と課題」(厚労省)(図1)ですが、これについてコメントをお願いします。

 

倉重 非正規雇用の話しが出るのでしたら入れさせていただきたいと思ったのですが、非正規の割合が増えているのは事実だと思います。2022年でも36.9%、よく国会などでも「4割近い」ということで採りあげられます。しかしこれは内訳をよくみる必要があると思っています。いちばん増えているのは何かと言いますと高年齢者、シニア層なのです。明らかにシニア層が増えている(図2)。

定年後再雇用が法律で義務づけられていて、そこは再雇用という形式で、いったんは退職のうえ1年契約を中心に契約社員の形に変わりますが、これが非正規雇用されますので、それは増えるということで、数字のマジックのような話しです。よくこれを元に政治家なども「非正規雇用を企業が使い潰してケシカラン」と言っているのですが、それはやや当てはまらないのではないかと思います。したがって増えているのは、高年齢者と女性です。パートが多いということです。

 本来いちばんイメージする、「非正規雇用の人はかわいそう」といった議論をするのは、「正社員になりたいのになれない人」のことで、それは「不本意非正規」と言います。これは毎年減っていまして、20%近くあったものが、今は10%ぐらいです。これだけ人手不足と言われて、正社員募集をしてもまったく来ないという企業もたくさんありますから、選ばなければ正社員になれますということは、実現可能な範囲でまったくあり得ると思います(図3)。家庭状況や地域柄などのプライベートな状況でそれが許されないということが現状としてはあるのです、そこが課題だと思います。

森本 「不本意非正規雇用」が減ってきているというのは、60歳以上の雇用が増えているということの関連もあるのでしょうか。

倉重 ありますね。シニア層の方がたの大半は「不本意」ではないですね。さすがに60歳を過ぎて正社員になりたいという人はあまりいないのではないかと思うのですが。

森本 そうですね、一方で大企業を中心に60から65歳という定年延長の流れになりつつ、定年後再雇用という形で、今は2本立てで走っているのかなと思っています。

倉重 そこは企業規模とか業種、人員構成にもよると思います。私どもの会社でも秘書職の定年を延長して65歳にしましたが、今の60歳は元気な方が多いですし、問題なく力を発揮できる業種であれば定年延長もいいと思いますし、採用に自信があり、どんどん新陳代謝するなら今までどおりでもいいと思います。そこは使い分けかなと思います。

森本 そうですね。私の肌感覚ですが、10年前は、シニア、60歳以降働いてもらうのは、一部の特別な方がぜひ技能伝承のために残ってくださいというところが中心だったのですが、逆に最近はそういうものはあまりなく、60歳以前と以降が似た働き方で、給与水準が変わったりしながらも引き続き働く人が増えているという印象を持ちながら今のお話しをうかがっていました。

 皆さまの方からもぜひ何かコメントをいただければと思いますが、いかがでしょうか。

 

年齢と健康問題からみる働き方の変化

倉重 今のシニア層は昔より10年若いですね。そういう感覚です。

森本 実際に同じ60歳でも若々しさが違ってきているように思います。

倉重 あとは60歳を過ぎてきますと健康状態が人によってかなり違う。とくに65歳を過ぎるとそうですね。そこで何歳まで働けるかが、その人たちの人生においてかなり決定的なことで、今後のお金の話しであるとか、生き方が大きく変わってくるので、健康寿命を延ばすというのも今は大きな課題ですね。

彌冨 高齢女性労働者の転倒災害が多いと言われているのですが、高齢女性の筋力低下や、閉経後の骨量低下により転倒して骨折リスクが高くなり長期化するという女性特有の健康上の問題だけではなく、非正規雇用の女性は、第三次産業に従事する割合が多く、第三次産業の多くの事業所は経営規模が小さく、安全衛生活動のための余力がなく、転倒災害に対する教育なども十分に受けていないといった背景もあります。

倉重 なるほど。

森本 高野先生からもコメントをいただきたいのですが、大企業以上に中小企業のシニア層の雇用についてはかなりフレキシブルにできるところもありますし、シニア層に働いてもらわないと、次の人がなかなか採用できないというような世界もたくさんあるのかなと思いますが、そのへんの肌感覚など教えていただけますか。

高野 私も今、先生方のお話しをうかがいながら、50人未満の会社は人手不足が非常に深刻な問題になっていて、ある事業所では再雇用の60歳以上の方と女性のパートだけで動いている、中間層がいないような企業も何社もあります。今までは高齢層の健康問題をあまり考えずにいたのですが、そこもしっかり考えていかなければいけないと思いながらうかがっていました。

森本 小島先生のお立場からはそのあたりについて何かコメントなどをいただくことができればと思うのですが。

 

個別化・多様化する労働者を反映する労働環境の変化

小島 先ほどの話しをうかがいながら、かなり高年齢になってからの転職、それまでは、どこかの会社の事務などで長くやっていた方が、定年後も生活を維持していくために違う業種に転職する、例えば飲食業や介護など転倒災害が起きやすい仕事へ移るようなキャリアチェンジが起きているのかなと想像をしていたのですが、それを含めて、高年齢になって新しい仕事に就く人は、業務の能力や自分で身を守るというところのリテラシーが不足していたりするのかなと思ったのです。要は、高年齢になって新しい仕事に移るというのが、今はひとつの大きな塊りとして起きているような気がしていて、リカレントとかリスキリニングと言われていますが、それだけではなく、生活習慣や仕事をする構えのようなところからもう一度自分でしっかり鍛えるのと同時に、企業もそこのところで不慣れな人を教育などでしっかりやらないと危ないのだと思いました。

 気になったのは、先ほどのスライドで、パートやアルバイトが増えているという記述もあったので、それは何かと思いました(図4)。ニッチな話題かもしれないのですが、M字カーブが解消していて、正社員のまま結婚・出産を通過する女性が増えているのと同時に、10年や20年ぐらい上の世代の人たちがあまり話題にはのぼらないけれども、けっこう隠れた変化にさらされているのではないかという想像をしたのですが、どうなのでしょうか。

倉重 パート労働者の7割は女性ですから、女性が増えているという厚労省の統計もあります。結局は働きづらくなって退職してしまい、別の職に転職しているとは言え、家庭の育児なのか介護なのか分りませんが、何らかの事情で両立できていない層がいるということでマミートラックのようにキャリアが断絶してしまっている層がいるということですね。

 「最近の労働環境の変化」についてですが、労働環境の変化ということと労働組合の組織率低下というのは、同じ問題ではないかと思っていまして、したがって鋭いご指摘だと思いました。労働組合の組織率も過去最低で、16%程度です。これは労働環境の変化にまさに原因があると思っていまして、何が変化しているかと言いますと、先ほどの「パートが増えている・女性が増えている・シニアが増えている」ということと同じように、人それぞれの事情が変わって個別化しているのだと思うのです。

 昭和の時代は、100%仕事に集中できる人を集めて、一律の労務管理をして、労働組合は一律の賃上げを求め、一律の賞与をいただくという春闘をやり、そういうスタイルで同質化していたのですが、現代では働く価値観を含めてモザイク化しており、求めているものが人それぞれで違います。そうだとすると一律要求の労働組合ではあまり求心力は得られない。「いやそこじゃないのだ」とか、もっと仕事と家庭の両立支援がほしいと思う人もたくさんいるでしょうし、しかし労働組合の「オジサン」は、そういうことが分らないという人はけっこう多いので、そうなると現場、現場の課題にきちんと向き合おうという労働組合も最近は出てきていまして、そういうように労働組合自身も変わっていかないと何のための組織だか分らなくなって、誰も加盟しなくなるというのが現状ですね。

森本 そうですね、共働きが非常に増えていて、両方が正社員の共働きができたらいいのでしょうが、両方がいわゆる総合職で2週間後にはあなたは大阪から東京に転勤ということになったら、配偶者はどうするんだと言えるのかという現実があります。それで一方が退職・転職せざるを得なくなると、給料は世帯の単位で考えると逆に減ってしまうということなどが起こります。そうなると、異動はメリットなのかという話しになります。色々な歪みがあるように感じています。

倉重 「転勤・海外赴任問題」はありますね。

森本 海外などはとくにですね。子どもを保育園なり小学校の低学年でどこまでカバーできるのかとか、子供の教育に熱心で中学受験を考える場合に、フルタイムで働く親が1人で全部できるのかというようなことになりますね。

倉重 そんなの「無理ゲー」ですね。異次元の少子化対策と言うのなら、そういうようなヘルパーさんのことなども含めて全部手当てをしてくれと思います。

森本 本当にシニア層から子育て層まで色々なところで議論が出ていると思います。

 

日本型雇用のメリットとデメリット

森本 議論はつきないのですが、先に進みます。日本型雇用というのは、今までは企業も非常によくて、私にもあまり記憶にないところなのですが、昔は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代もあったわけで、それがうまく機能していた時期もあり、まずはどういうメリットがあったのかという部分と、逆にそれが行き詰まり、色々なデメリットが出ているといった両面からディスカッションできればと思います。よろしくお願いします。

 

倉重 メリットは間違いなくありました。だからこそ流行ったのだと思います。ただそこには前提条件があって、ちょうど昭和の高度成長期にマッチしたということだと理解しています。人口増、経済右肩上がり、基本は、先輩がやっていることをまねして、さらにそれよりも効率よく、あるいは大量に作るというような形で成長していった時代があります。将来が見えている時代においては、将来のことを保障して、長く同じ人にいてもらった方が、企業としてもコスパよく収益を挙げられるということで、その時代にマッチしていたのだと思います。

 しかしこれがバブル崩壊、失われた30年以上の中でどうやったら成長できるかが今は分らない時代に入っているわけです。そういう時代においては成長できるかどうか分らないのにどうやって雇用を保障するのかということでは、無理が生じているのが現状だと思います。

森本 小島先生の立場からも何かコメントをいただけますか。

小島 一方では、労働者も転職に抵抗がなくなってきました。若い人たちも最初に入る時から、ここには3年がせいぜいかなとか考えたり、その3年間でどういうものが得られて次につなげられるかということを、けっこう考えていると同時に、そういうことに思い悩んだりして落ち着かないと言いますか、はたしてそれが本当の転職なのかと思うことがあります。

以前から外資系企業は本当に流動性が高かったわけですが、それでも最初のところでは落ち着いて経験を積んで力をつけておき、次に移る時には必ずランクやポジションを上げて移っていくという、前向きの選択をしていき、先を見据えて「わらしべ長者」のように給与とポジションを上げていくという、そういうものがロールモデルとしてあったと思います。今は何となくボヤッとした経験を積んで、ネットワーク、コネを作ってと言いますが、何かその先には、よほどの人でないとつながっていかないのではないかと思います。若い世代の育成とか経験が非常に空疎になっているイメージがしていて、正直に言って心配しているところがあります。そのあたりの実態はどうなのか。皆さんはどのように感じられているかというところですが。

 

将来が見えない不安の中で探る働き方

倉重 若い世代も不安ですね。学生さんのところに行って話しもしますが、どこに行ったら将来が安心なのかということを常に考えていて、成功する、安泰で過ごせるのはけっこう難しいという意識を持っている人が多いという気がします。なぜかと言いますと、これも時代的には、医師の業界もそうですが、働き方改革が求められる一方で、自立せよと相反することが言われているのです。働き方改革ですから、会社としては、「ある程度の作業量しかさせられない、それ以上成長したければ自分でやって」という話になって、一方、キャリア自律と言って会社からキャリアが与えられるのではなく、自分でキャリアを選んでいきなさいという話しです。そうしますと会社からある程度の量をやらされて、そのお陰で成長できたという人もいなくなってしまうものですから、新規事業やおもしろいと思った提案があったとしても会社としてはやらせられませんということがあり、結局は会社を頼りにせず、自分でやらなければいけないというところに直面してしまうのですが、そうなるとできることにも限りがあり、会社としては労働時間としてはつけられないので、なかなかそれ以上はできないというジレンマがあり、成長するにはいったいどうしたらいいのだということでもがいている人もいる訳です。

 つまり、自分でやる人は伸びるけれども、やらない人は伸びない。会社はやれとは言ってくれない。実力が二極化し、その差は10年後にはすごいことになっています。

 もちろんそういう中で結果を出して、副業などで成功し、NPOなどを始めて成果を出されている人もいますが、まだまだそういう人は少ないので、大半のまじめにやっている労働者の方が普通にやれば成功するというハードルが今は高くなってしまっているので、これをどうしたらいいものかが悩ましいところです。

森本 世の中で、たとえば副業とか、色々なキャリアでリスキリングして幅を拡げていこうというのは、流れとしては非常に正しいし、是非にと思います。一方で、「いや今はこの仕事に必死でかじりつかないと明日のご飯も食べられないのだ」という人にプラスアルファのキャリアまで求めるのは少し酷かもしれないと思う瞬間もあります。ですので、いつも「ウーン」と思ったりします。

倉重 医師でも「手術の経験を積んでなんぼ」ということもあるでしょうし、A水準、B水準、C水準ということで、それがとれなければここまでしかやらせられないという話しですからね、それでも自分でやらなければ自分のキャリアが成長しないということがあり、これは本当に悩ましい。最終的には自分がキャリアに必要なことをやってこなかった、と自己責任の極みのようなことになってくるので、本当に辛い世の中で、残酷と言いますか。

森本 とはいえ、行政も「これから先は自己責任で頑張ってください」とはなかなか言えない。

倉重 それでもやらないと成長できない。矛盾しているのですね。

 

解雇・退職勧奨に関して-経済面(お金)で解決する考え方もある

森本 少し話題を変えます。すごく難しいなと思いながらです。労働者の退職・解雇についての話題に移らせてください。経営不振で労働者を解雇するのとは別な話しとして、解雇規制の話しもよく出てきます。そこを少し掘り下げできればと思っています。

日本は基本的には、大企業を中心に解雇ができず、中小企業は、そこは無法地帯だというステレオタイプの言い方があると思いますので、そのあたりも話題にしていければと考えます。

倉重 数字的な話しで言いますと、年間の離職者を見ていくといいと思います。年間離職者が約700万人いる中で、すべての理由で辞めていく人の中で、不本意に辞めさせられている人もそれなりにいると思うのです。解雇はもちろんそうですが、退職勧奨のような、先ほど小島先生がやられていたという話しに出たものですが、形式的には退職届を出していることになっているが、それは「辞めさせられた」のだという感覚の人がいて、しかしこれは統計上は出てこないので、推測するしかないのです。1%、0.5%でもいいのですが、0.5%と仮定すると、35,000人ぐらいは毎年そういう人がいることになります。

 一方で労働事件はどのくらい起こっているかと言いますと、多く見積って3,000件台です。ほとんど訴訟になっていないのです。そこから何を読み取るかは、色々と価値判断が入ってくるところですが、結局はその程度しか紛争になっていないということです。これをもって、たいして紛争になっていないじゃないかというご意見の方もおられますが、一方で「諦めているとか泣き寝入りをしている」というような見方もできるとも思います。幸せになっている人は少ないのではないかということです。個別の社員のことは個別論になってしまうので、置いておきますが、根本的にはいがみ合っている人たちを一緒に共生させて何かいいことがあるのですかということが、私が思っていることです。たとえばフランス、ヨーロッパでは、いがみ合うぐらいならお金で解決しようというのが、基本的な発想です。離婚と似ているという話がよくあります。無理矢理にいがみ合っている人同士を一緒にするということで、たとえば子どもがいるなどの個別の事情は分かりますが、会社の場合はそこはどうなのでしょうか。実際に、裁判をやっていると解雇事件になってもかなりの確率で和解するのです。それが弁護士交渉段階なのか、労働審判で裁判に行って和解するのかという段階はありますが、結局のところは和解するケースが大半なのです。判決にまで突入して、最高裁まで争って、それで職場復帰するというケースはあるけれど大変少ない。それでしたら、「最初から金でよくない?」と思うのです。裁判を戦い抜くのは、相当なエネルギーを用いるので、これは労働者側の弁護士が怠けていると言いたいのではなく、やはり会社と「事を構えて」数年間というのは、かなりのパワーを使いますが、しかも「できる人」ほど転職は決まりますが、転職が決まりながら前の会社と闘うというのは、かなり難しいと思いますので、それが、たとえば数ヵ月でお金だけもらえるのであれば、そちらの方がいいのだという人もたくさんいると思うのです。そういうように合理的に考えたらどうかということです。あまり思想を入れずに話してみました。

森本 小島先生がうなずきながらお聞きだったと思いますが。

 

解雇をめぐる労働者側の2つの立ち位置

小島 僕は今の事務所に移ってからけっこう労働者側もやっているのです。悪質な経営者とか、とんでもない会社とか、けっこう巨大なところも相手に、かわいそうな労働者の代理をしています。ただ、「まともな」と言いますか、まじめな、自分のキャリアを大事にする、遊んでいるのではなく働きたい、今までも会社とか雇い主をリスペクトして自分自身と同一視してやってきたような人が、ひどい仕打ちを受けたり、裏切られたりしたときに、その相手と闘うというのは、大変なストレスなのです。したがって基本的にメンタルがやられている人も多いし、それを支えながら闘わなければいけないというのは、たいへんなことで、「もう止めたいです。」というところとの葛藤なのです。したがって裁判などはやらずに「もういいです。」と言って心が折れてしまう人もいます。そのあとがうまく前向きにいけばいいのですが、それをきっかけにキャリアや心身がダメージを蒙っていたら問題だと思うのです。最近は経営側もかなり悪質と言いますか、バサッと解雇するのではなく狡猾になって、降格したり、それに伴って給料を大幅に下げたり、あるいは何か不正の嫌疑を掛け、調査対象にしたりで、「なぶり殺し」にされるような、やられる側としては大変な葛藤を受けるような局面にさらされて、辞めてしまうのか、頑張りきるのかということでサポートすることが増えています。

 ハラスメント問題や、様々なコンプライアンスの問題が、そういうように一部の労働者には刃にように向ってきている。そういう、会社の潔癖症的なものを感じたりします。

 その一方では、労働者の中には、退職勧奨しても最初から3年分の給与を要求していっさい妥協はしないで解雇されるのを待ち、解雇されても1年ぐらいは訴えても来ないで忘れたころに裁判を起こしてくるような方がいます。裁判も時間稼ぎをして判決をゆっくり待つ。判決になって万一会社が負けるとバックペイでそれまでの給料を払うわけですから、和解するにしてもそれを対象に和解の議論をしなければなりません。その間、ご本人は、結局、キャリアを台無しにしているのですが、それを意に介さないと言いますか、そういうような悪質と言ったら語弊もありますが、自分のキャリアを犠牲にすることでお金に換えているような動きが、いささか目立つと言いますか驚くような状態なのです。裁判になっていく事件の中には、確信犯的に弁護士も労働者も打ち出の小槌のように解雇濫用法理とか裁判所の労働者寄りとかを利用しているものがある。

最近は、裁判所も、解雇をされた後でも労働の意思と能力があるのかということを気にするようになり、解雇されても漫然としているような人について、本当にバックペイを全部払うのかということをけっこう見るようにはなってきた面は、いくつかの裁判で感じたりしています。

 そのあたりは、私の限られた経験から感じていることなのですが、倉重先生、この2つの面については、いかがでしょうか。キャリアを大事にする人ほど会社と闘うことには大変抵抗があり、葛藤にさらされている、また、すんなりと解雇してもらえないで、結局は自分で辞めていくような「暗数」があるのではないかということと、逆に、あまりキャリアを大切に考えずに、それをお金に代えることを繰り返しているような方も一部にはあるように思えて、まったく違う世界が、同じ労働者側でもあるような気がするのですが。

倉重 まったくそうですね。同意見です。同じ解雇規制というものに守られていながら、それがいい意味にも、悪い意味にも効果を発揮してしまっている。やはり先ほど言いましたように転職が決る人は、さっさと次に行きたいという方が優先なのですが、一方で前の解雇が許されるのもおかしいと思い、迷いながらいる人もたしかにいらして、そういうケースは、早く金で解決した方がいいと思いますし、それが法律で決っていたらいいと思うのですが、一方で長年、「闘争わが人生」みたいになっている人たちもいらして、それが生きがいですが、これはその人にとっては大事かもしれませんが、はたしてこれは大事なことなのだろうか、こういうものをたくさん生み出すことによって、何か生産的になっているのだろうかというところが、現場を見ているととくに強く感じる問題です。お互いに非生産的な活動をしていると感じられ、それは非常に辛い闘いになる。最終的には、「どっちが勝った・負けた」という話しになるわけですが、そのうえでお互いに何か得られるものがあるのかということでは、非常にむなしくなる時もあります。

 だからこそお金をいったん払って、まずは離れましょうというのが生産的なのではないかと思ったりします。

 とくに大企業などで、コンプライアンスを意識するところは解雇まで行かなくても、退職勧奨しても辞めない人はいたりするので、そういう退職勧奨レベルに入っている人ですから、当然、パフォーマンスを発揮するのは難しい状態の人で、そういう人がそれなりにいるとそういう組織は、あまりいい方向に行かないのではないかと思います。ここは福祉なのか雇用なのかという議論もあるところです。結局そういう方がたを抱えながら、日本企業は世界で闘っていなければいけないので、それはなかなかのハンディを背負っていると思います。

森本 この手の話しは、どうしてもセンセーショナルで感情的な議論になってしまいがちですが、「こういう場合はどう考える」というように、本当はもう少し細かく議論分けをしながら話しをして、なにが解雇権濫用なのかを考えないと話しがまったく前に進まないなと思っていました。

倉重 会社がブラックというのも本当にたくさんあるので、だからこそ、法律である程度お金を払うとしてしまった方が、今までは払わずに済んだ会社にとってはむしろマイナスと言いますか、支払いが増えることになるのですから、そちらの方が現実的ではないかと思ったりします。

 

解雇-大企業の場合・中小企業の場合

森本 高野先生のようないわゆる中小企業を見ている立場ですとそのあたりが逆に「社長の言うことは何でもアリ」のような世界も一方であると思うのですが、何かコメントをいただけますか。

高野 中小企業の社長さんは、合わない従業員、自分に反発しただけでもすぐに「クビ!」と言ってしまうので、そこは「まあまあ」と抑えるのですが、「お金を払うことは解決の方法の1つとなる」という話しをうかがえてよかったなと思います。いきなり解雇というのは厳しいですから、まずは労使の面談によるコミュニケーションを取ってもらい、会社からの期待と従業員からの希望、会社とのマッチングなどを感情論ではなく冷静に考え、協議していただきます。従業員から「合わないと思う」という言葉があれば、例えば会社からのサポートとして2ヵ月間、自由に出社していいから、その間を転職活動に使っていいとか、有給休暇の買い取りにプラスアルファでお金を払うなどで、ケースによって異なりますが、双方が納得する形での退職ができるようにしています。当然、労使の合意のうえで、退職ではなく継続して働くことを選択される場合もあります。恨みのない退職は、労使のコミュニケーションが必要だと思っています。今のところはこれで問題は起こっていないのですが、今後は闘うのを生きがいにしているような人にもし当たった場合、この方法でいいのかということを、今の先生方のお話しをうかがいながら、悩ましいなと思いながら聞いていました。

森本 逆にその辺りの柔軟性は大企業には持ちえない部分でもありますよね。大企業では従業員が退職する時に課長の裁量権で金銭を上積みできるかと言いますと絶対にできませんので、そこはまったく違う世界だという部分と、お互いのいいところとお互いの悪いところがうまくミックスし合えれば本当は良いのだろうけどと思います。

 

雇用保障と賃金の関係

森本 次のテーマとして、何か話題にしておきたいということはありますか。

倉重 ひとつだけですが、日本は給料が上がらないとは、よく言われることで、たしかに過去30年間上がっていないのですが、中国の初任給が70万円だとか、アメリカの年収が3000万円ということがよく言われますが、「雇用保障がありますか?」という話しとセットで考えなければいけなくて、高賃金でかつ定年まで雇用保障という話は世界中どこにもないのです。何をめざすのかという話しです。

森本 その視点はあまり出てこないですが、たしかに大事ですね。

倉重 日本社会として何をめざすのかという話しなので、そこは肚を括らないといけないところです。たとえば解雇規制を緩めると企業が横暴なことをするとはよく言われるのですが、一方で企業は、いい人に辞められたら困るわけです。これだけの人手不足なのですから。それで辞めないでいていただくために、だからこそHRの人が頑張るのです。そこが「解雇できる=ブラック企業」だという議論とは少し違うのではないかと思います。

森本 今の話しを聞いていて、プロ野球選手の契約更新をイメージしました。複数年契約にして安定をとるのか、単年度契約でより高額な契約を目指すのかというような話しで、そういう議論にも近いのかなと思いました。たしかに雇用の保障の部分と金額の部分は当然リンクしてこないとおかしいですよね。

小島 あえて暴論と言いますか、極論を申しあげれば、他の従業員の安全と健康を守るために「クビにしなければいけない労働者」はいますから。

倉重 全体の利益を守るためにですね。

小島 隣りに座っている人、さらに上司というように、次々と壊していくような人はいるわけです。

倉重 クラッシャー的な人はいますからね。

 

日本企業の退職勧奨には何が不足しているか

小島 労働者は守らなければいけないと言っても、他の労働者をどうやって守るのかということもあるわけです。他の労働者には触れさせないで幽閉のようなことをしてしまえば、それはそれでハラスメントになってしまいます。私は障害者雇用の支援もやっていますし、発達障害やパーソナリティ障害の労働者の労務管理の支援もやっています。今は、ここでは、そういう他に迷惑をかける人になってしまっていますが、他の場所や、また時期が変われば、そうではなくなり、変るかもしれないのだから、時には外科手術のようなことで、とりあえずその場からは切り離すというようなことも現に必要だと思います。ただその時に、とにかく食べていくために、生活の不安や家族のことを考えたらお金をきちんとオファーしなければ。外資系は、もちろん水準の様々はありますが、日本の中小企業のかなりの方がたが理由がないと感じるであろう金額なり、月数のスタンダードは持っていて、それを相場としてきちんと提供するということは、比較的きちんとやる文化はあると思います。

もちろんこういう人には払う必要がないと考えたりや、勤続年数が短いと微々たるものだったりすることもありますが、やはり日本企業はもう少し退職勧奨を機動的にやって、労働者側もある程度の期待と同時に法外な要求をしてもそれには絶対相手は応じないのだという、その両面の相場感を持ってもらいたいと思うのですが、そのあたりは倉重先生の目から見てどうですか。

倉重 退職提示の金額ですが、12ヵ月分とか24ヵ月分という例もありますから、36ヵ月分が今はいちばん高かったのかな。

小島 それは個別の方に出す金額ですか。リストラではなくて。

倉重 本国がそういう制度ですということで。

小島 そのへんは、国や会社によって違いますね。

倉重 勤続年数は長いケースです。まあそうしておけばもめるケースも少なくなるので。ただどの企業も24ヵ月分というのは相当難しい話しですから、そのへんの相場感のようなものは今までの労働審判の和解実績などがたくさんあるのですから、厚労省がガイドラインなどを出してもいいのではないかと思ったりします。

小島 実際に、会社からも労働者からも相場はどのくらいですかと聞かれますね。

倉重 何となく3・6・12(か月分の給与)というようなことです、ザックリですが、3で収まれば会社はいいし、それなりの事案でしたら6まではしようがないでしょうとか、だいぶ会社が悪いという時には、そこは12を覚悟しましょうと言うことなどが、何となくはありますが、まあケースバイケースです。

小島 そうですね、あくまでも和解の提案ですから、そこがやはり相場はあるとは言いながら、当事者の個別の合意ということになって差が出てきてしまい、必ずしもフェアな結果になっていない気もします。もの分かりがいい方が損をするという面は、和解にはありますね。

倉重 裁判所も日本語が分る方が得する傾向はありますから。

森本 ありがとうございます。退職勧奨・解雇の話しはいったんここで締めさせていただき、メンバーシップ型雇用とジョブ型雇用の話題に移りたいと思います。

 

(後編に続く)